2021/10/29
詩を書こうにも何か同じようなものしか書けない
かれこれ5、600篇くらいは書いてきたもんだから手ぐせのようなものはある、書こうと思えば書ける
ふとした時に頭をよぎる言葉を新しいうちにとっておいて、インクみたいにポタッと垂らすと滲んで詩らしいものができる
そこからは陶芸のような指先のニュアンスと、建築的なボリュームの操作でエイヤッと輪郭を浮かび上がらせると詩になる、わたしの場合は詩と呼んでいる
手順を逆転させることも可能で、まずある程度のルールを設定して、たとえばブロックのような枠組みを設定して、そこに質感を与える方法もある
定型詩もこのひとつだと思っていて、575の17文字というエッジの効いた枠組みの中に曖昧なイメージを詰め込む、滲ませる、刻みつけるなどなどする
しかしながら最も重要、というか当人の心理にとって重大なことは何を書くかということには変わらない
何を書くかはどう書くかの問題ではなく、何が書くべき対象として発想、想起、直面されるかの問題であって、書く時以外で何に触れているかの問題だ
つまり生活が問題だ
わたしはパソコン関係の仕事をしているもんだから、四六時中モニタを眺めては食事をおざなりにして、空腹を感じれば甘いものをパッと頬張るようなことを続けている
仕事が終わるころ、街は真っ暗であって、そういえば、訪ねるような人もいない
わたしがきた時から東京は暗くて誰も居なかった、最近になって夜も明るく賑わうようになっているらしい
少しYouTubeやらTVの番組を眺めて、いつのまにか夜ふかしをして眠い朝を迎える
夜は動悸がしている、朝はあんなに眠いのにベッドに入ると眠れない
心の方まで震えている気がする
何も見ない聞かない触らない日々の中で、感情は空転して凪いでゆく
代謝のように湧いてくる、シンプルな喜怒哀楽は宛先がないままどこかに消えて、きっと良くないところに埋め立てられている
行き場のない感情、とりわけ生きることがめんどくさすぎる、理不尽すぎることに対する怒りと焦燥感や、だからこそニッコリと笑っていようというユーモアはいつだって存在するテーマであるけれど、モニタの前で完結する日々の中でテーマはほとんどむき出しのまま、繰り返し、繰り返し、反芻される
朝ご飯を食べずにPCの前に座る、お昼ご飯にお菓子を食べる、夜は鍋を食べる、今日は湯船を張る日であって、そういえば昼間は天気が良くて、洗濯物も干した、庭で雀が2匹仲良くしているのを見ていた
これくらいの構成要素と、怒りとユーモアだけでわたしははどこまで書けるのか、もうたくさんは書けないかも知れない
かれこれ1年ほどこうして生活をしてきたし、食べていく為にしばらくはこんな生活を送ろうと思っている
最近は仕事の都合で外出も制限されているから息苦しさはひとしおのものがある
目と口と鼻を塞がれたみたいな閉塞した生活は何一つ面白くはないが、わたしはわたしの脳みその中だけでは楽しくはなれないことがわかった
詩を書こうにも何か同じようなものしか書けない
多分、孤独というものの中で弱り、喘ぐこの心がある
もう言葉を書くこともできない有様である
全くもって心地よいことはないが、長くなるらしい人生の中で、こんな気持ちを知っておくのも面白いと思う
奈落の底を知っているんだぜといつか言う、絶対
わたしは忘れっぽく、しかしただで苦労するのは癪であるので、この日々のことを書いておいた