朝ノオト

空想に遊ぶ

5/6のエゴ

昨日少し飲みすぎて、朝の元気がなかったのと、昼間は髪を切ったり、お使いをしたり、めちゃ素敵なショッピングなどに勤しんでいたらこんな時間になってしまっていたので日記らしい日記を書こうと思います。

おいしいワインを一本ほどいただいた後なので記憶は定かではないけれど、僕の日常は好都合なことに不自然なくらいツイッターで垂れ流されているので、呟きを参考にして、一日を振り返るなどしてみます。

今日は確か8:30くらいに起きました。昨日は紹興酒を一本ほど飲んで宵々になっていたので、 寝覚めが不思議な感じだったのを思い出した。僕は多分、お酒が強くは無いのだけれど毒やら薬には強い体質なので、はちゃめちゃに酔っ払うことは無いのだけれど、お酒を飲みすぎた日は睡眠時間が短くなる癖があるので、遅くに寝ても、少し疲れを引きずったままパッと起きてしまうので、朝はあんまりハッピーではないのに、朝日がカーテン越しに入って来るのが少しいい感じなので楽しくなってしまって、ついつぶやいてしまったのです。

髪はそんないに伸びてもいないけれど、長年のマッシュ生活をやめてショートヘアにしたせいで、ちょうど良いを保つのに手間がかかるようになってしまっていたので短いスパンで髪を切らなくてはならず、いつもと同じお店にいきました。同じ美容師さんに切ってもらうのも良いのだと思うけれど、親しく話しかけられたくはないのと、毎回微妙に違う髪型が楽しいという理由で、いつものお店の適当な人に切ってもらっています。遅刻魔かつ場所を覚えるのが苦手なのと、初めて行く室内ではめまいを起こすという面倒な体質があるので、場所を変えるのが苦手なので極力同じお店に行きます。

大抵どこに行ってもエレベーターまでついて来てくれる店員さんい向ける笑顔を維持したまま降りた出口に、ビルの管理人さん?があつらえたであろう忘れ物スペースをふと見つけて、一瞬ギャラリーかなと勘違いして、いつかウィーンの街で通りすがったオークションのショーケースを思い出しながら、管理人さんの工夫を愛おしく思っていたりしました。

腰をいわして寝たきりの母に頼まれた五つ指の靴下を求めて軽く二キロくらい歩いていた頃のことです。梅田の街は日々開発されていくのでルクアやグランフロントといった小洒落た高層商業施設が並んでいるのですが、そんな土地も実はそんな歴史ある土地ではないポッと出のところであるので、昔から住んでいるおじいちゃんがお散歩していたりして、そんなおじいちゃんがどうしようもなく好きだというだけです。表参道のオサレなビルが立ち並ぶ通りを歩いていても、ヨボヨボのおじいちゃんが同じくらいヨボヨボのチワワを散歩させていて、よりにもよって僕の目の前で踏ん張り出した時、とっても愉快な気分になったことを思い出していました。

靴とか器はもう本当に素敵だった。オニツカタイガーアンドレアポンピリオというデザイナーがやった、ペルーの靴にインスパイアされた靴だそうで、ベロのないスニーカーでとても履きやすくて、しかも超かわいい。靴と時計を買いすぎる人は欲求不満なんだとか言うけれど本当そのとおりだと思うし、歩くのが好きすぎるので素敵な靴は毎日を楽しくしてくれるので大好きです。飽き性でないせいで靴箱を圧迫してしまうのがよくないけれど、ボロボロの靴から最新の靴まで並んでいる靴箱をみるのが好きです。

器は僕のライフワークで、年に5個くらいずつ陶芸作家さんの器やらマグカップを買ってしまう癖があります。いつかは器と料理とインテリアにこだわり抜いた世界を作ると決めています。(建築学科で勉強して、陶磁器を愛し、食欲に飲まれた僕の天職だと至極真面目に思っているので、興味のある人は応援して下さい。)

アマゾンのCMに反応したechoが面白くてつぶやきましたが、おそらく本質はもっと面倒なところにあって、僕の世界に、よくわからない男性俳優が介入してきたことが違和感だったのだとおもいます。広義の潔癖症なので僕は僕の知らない人間が僕の世界に入って来ると取り乱してしまうのが面白い。

本当その通り。僕は日記的な文学ではチャールズブコウスキーの作品が好きですが、長い年月をかけて狂気的に継続したからこそ生まれる手癖のような、時代に寄らない魅力があって、そういうものを手に入れたいと思います。きっと本人はよくわかっていないはずですが、書いている感覚はきっと良さそうなので、僕も、書き続けます。

最近、このことを思い知らされていて、僕は僕のことしか興味がないのだということを考える日々です。誰に教えられたのか人を傷つけると自分まで痛くなる性質なので、うまくできませんが、うまく諦めて、いつかは自己愛で人類を愛せるようになろうと思います。(きっと僕にそれを教えてくれた人は僕を愛していたのだと思うし、芸術を知っている人だったのだと思います。)美しいと思う人が大抵女性なので異性愛者ですが、美しいかどうかで判断しているのできっと人を花か何かだと思っているのだと思います。自分の人生に添える花程度にしか人を見ることが出来ないのだと最近やっと自認することが出来てきましたが、ちゃんと愛せなくとも、花に水をやる人の心理があるように、愛せなくとも、結局エゴイズムにせよ、大切にすることはできるのもまた確かだと思います。ただ本当にめんどくさいと思います。ひたすら誰かに愛されるくらい美しく生まれてくれば便利だった気がしますが、そう出なかったからこそ、僕は僕に夢中になれているのかも知れない気がしてやり切れません。今は本当に愛されない覚悟がある人間を探すしかないなどと思っている恥ずかしい感情が、だれかの心を癒すと信じています。

最近は僕の奇行に対する家族の理解も深まって来て良い感じです。客観的に自分を観察しつつも、信念として情動に忠実に生きているので、雨の中、下ろしたての靴を履いて風の強い河川敷を歩くことは普通ではないとわかりつつも、感情ではとても自然で、実際に体は心地よさを感じるので、僕は僕を面白がってしまいます。僕より面白い人間はいないのは、残念なことに事実です。

やっとこさ今にたどり着きました。

今もまだ、よせばいいのにと思う二本のラインが入った黄色い長袖スウェットを着て、ワイン片手に書いているので相変わらず愉快な人間です。僕はどうして僕のことを書きたがるのかわからないですが、そういう気分なので間違いではないのだと思います。

おやすみなさい。