朝ノオト

空想に遊ぶ

母の日

昨日の記憶があまりないので、なにを書くべきなのか思い出せない。ここ数日は飲み会続きで帰りが遅くなっていたので、深夜に寝て、昼ごろ起きる生活だったので、単純に1日が短かったというのもある。睡眠時間が伸びるのに加えて、夜中の時間はひっそりパソコンの前で作業しているだけなので、ロスタイム感というか、世の中の時計が止まっているうちに一人で静かな時間を過ごしている気分になる。あれはノーカウントだから!といいたいけれど、黙々とレポートを書いていた時間は確実に今朝の睡眠時間を蝕んでいて、止まることのない時計の針の動きを体に直接刻みつけている。

そういうわけで、霞む目、ぼやける頭で昨日を思い出してみるけれど、特別にやったようなことといえば、母の見舞いと、レポートの執筆くらいだ。かといって「何にもないをやっていた」という禅的な精神でゆるりとやれていたわけでもなく、何かをしていた。そうだ、夕飯にカップ焼きそばを食べた。洗い物を嫌って、その器で残り物のカレーも食べたのを覚えている。

我が家は今、男所帯であるので特に示し合せることなく、極力家事を増やさないように各々が暮らしている。弟が踏ん張ってくれているとはいえ、朝起きて、誰も手をつけていない家事があれば誰かがする。昨日の朝は、洗濯機を回していた。雨の日は洗濯物が乾かないので、風呂場を締め切って、除湿機やらを使って乾燥部屋を作るのが、我が家で最近になって発明された知恵である。

乾燥機の駆動音が少し聞こえるリビングで、僕はひとり過ごしていた。いつでも撫でろと吠えてくる犬もいなかった。家で呼吸をしていたのは一人きりで、残りの家族は山を越えたところにある動物病院に向かっていた。なんだかもう疲れていたのは、病院でみんなとお別れして、意外なほどに降っていた雨の中を歩いて帰ったからだった。ゴアテックスで作られたハイキングシューズは履いていたし傘も大きかったので、濡れてしまうことはなかった。

でも、そんな雨の日曜日なのに駅を通って家まで続く道はやけに賑やかで、家族で傘をさして歩くひとたち、明るいうちから赤ら顔で赤提灯のまちをフラフラゆく一行とすれ違うたびに大きな傘が少しだけじゃまだとも思った。雨の帰り道は汗ばんで、くたびれる。途中でご飯を食べて帰ろうかなと思ったけれど、家に帰ったほうがいいと思い、そそくさと、牛丼チェーン店が並ぶ通りを過ぎていったのを覚えている。3時のおやつの時間に帰ったところで、誰もいやしないので、雨の匂いだけが部屋を漂っていたので、そのまま結局、曖昧な空腹感を抱えたまま、疲れてYouTubeの自動再生されてゆく動画を眺めていた。それはいつも一人でご飯を食べている女の子の動画だった。いくらかぼんやり見ているうちに、この前に買っておいたインスタントラーメンにそっくりなのをその子が食べ始めたので、つられてお湯を沸かし注ぐ。案の定、そんなに美味しくはなかったのだけれど、全部食べきる頃には体が目を覚まして、お腹が空いていることに気づいた。そんなこんなあって、多分人生で初めてカップ麺の空き容器でカレーを食べた。誰も見てはいなかったので、特に思うところもなかったのを覚えている。そのことが面白く思い始めたのは、僕が汚れた食器を出さずに夕飯を食べたトリックを家族が暴いてからのことだった。

病院を乗り越えて異様にはしゃぐ犬一匹を含む家族が帰ってきた頃、僕は一人で隠れていた時間から引き摺り出されて、夜を思い知らされた。不思議と嫌な気分はせず、スーパーの袋に2本のカーネーションを見つけたときもそうだった。ああ、そういえばと思って、少し薄情な気分もしたけれど、そんなことはない気もしていた。

今になって思えば、先週くらいに先取りだと言って、いくらか服をプレゼントしていたのさえ僕は忘れていた。だから特に問題はなかったのだろうし、それ以上にもっと、あの日曜日は、病院で眠る母に、寂しさが及ぶことはなかったのだと思う。