朝ノオト

空想に遊ぶ

仮面と分裂と自分と

僕の仮面に対する愛着について。

これは前置き。

 

「僕は僕が分裂してゆくことが楽しい。

とりとめもなく増えてゆく仮面が好き。

好きな仮面で一緒に居られる人が好き。」

 

今日は訳のわからないことを書こう。

想起の話。あるいは自分の話。


話の通じない男と働く夢を見た。

彼のことはAと呼ぶ。

 


初めて会った時の言葉は確か、

「ピン打ちされた構成のことを見てください。滝壺の水音のことを言っているのではありません。etc」

だった気がする。

 


このセリフは正確ではない。

なぜなら最初はAが何を言っているのかさっぱりわからなかったから、覚えていることさえできなかった。ただ何の脈絡もない言葉が並べられているのを聞かされているような感覚だけがあった記憶がある。しかし、その時の彼は何の淀みもなく話していたので、きっと彼の言葉は何かを言っているに違いないと、あるいは言おうとしていることは確信できたので、戸惑いつつも、そんな同僚が不思議と嫌ではなかった。

思い出した。僕はAと同僚だった。上司はもっと訳のわからない人間で、夢の中では頭が変になっていた僕と、言葉が通じないAの二人だけの部署を作って、ある一つのことを命じていた。それは上司に面白いと思わせることをすること。時間をかけても良いから、やれるようにやれとデスクが与えられていた。僕とAは険悪ではなかったが、十分なスペースがあったので、机を離してお互いに違う方を向けていた。

職場は悪くなかった。上司が社員たちに話している時にも、つい手元に没頭して(確かその時はプチプチみたいな素材でできた、オレンジ色で透明の両面テープと格闘していた)、それが聞こえなくなっていても、咎められることはなく、その調子で良いと言っていた。彼は、全ての社員にとってヒントを与えようとしていただけで、別にそれが必要のない者は、本当にその調子でやればいいと考えていた。

僕とAもそうで、お互いが思い思いにやっていることを見ながら、お互いに声をかけていたので、やろうとしていることがわかっていたし、それがわかっているからこそ、言葉が言わんとしていることも掴めてきていた。

Aの言葉は、意味ではなく、むしろ図であったのだと思う。彼の言葉は実にとっちらかっていて、意味不明である。しかし、明らかに何かを指し示しているのであり、それをつなぎ合わせると、視覚的なイメージがあり、そこから感じ取れるものというのは、案外状況に即していたのである。

最初のAのセリフというのは、彼独自の言語の仕組みと、断片的な単語の記憶から類推される再現であるから、正確ではなかった。

夢の中で過ごしたAのことを思い出して僕は書いているのだけれど、元はと言えば、この妙な意思疎通法も、考えたこともなかったとはいえ自分の頭の中にあったもので、何かの拍子に想起されたものだ。僕の脳みその一部分は、覚えていないけれど、Aにその言語体系で話させていたし、変な上司も、そして少しおかしくなった自分自身も動かしていたし、今となってはそんな僕の脳みその動きさえ客体みたいになって、僕の想像の元になっている。

今の僕は布団の上でいつもの具合にスマホを手に書いているので、正直言って空っぽで、特に何も書くべきことを思いつかない状況であるけれど、今これを書いているうちは、書いているものに想起されて、次の一文に進むことができる。

このことは、何も布団の上に限った話ではなくて、自分の頭の中には実はこれといった実態はあんまりなかったりする。人は想起されることが必要な、媒介でしかないのかもしれないと思う。一番最初にアイデアを流したのはだれかわからないけれど、それがいろんな人を想起しあって、今こんなに沢山の考えや思いで、世の中が回っている。僕は最初はやはり夢の話から生まれたのだと思う。

つまり人は、レンズ、あるいは水面のようなもので、何かをきっかけとしなければ、その独自さを表現するすべを持たない。感度が高い人間はゼロから想像しているように見えてはいても、きっと夢に見る断片やら、ごくごくわずかなキッカケに反応している事には変わりないはずだ。

こんなことに今朝の僕は妙に納得している気分で、自分が自分を表現している風に思いつつも、実は周囲の何かに作用しているだけなのだという自認は別にがっかりするものではなかった。一人で物思いにふけることが大好きなのに、人と話すのが好きな自分、会う人会う人で、考えることが全然変わるとりとめのない自分、そういった自己矛盾のようなものが、至極自然なありようなものだと感じることができてむしろ心地よかった。

知らない自分が自分から分裂してくることに怯える必要はなくて、例えばそれが愛おしく思えるのなら、媒介でしかない自分は、その素晴らしい想起のきっかけをくれる人をこそ愛すことは、自己愛にとどまらない、至極真っ当なことかもしれないなとも思いつつ、僕が僕を肯定できた素敵な朝だった。