朝ノオト

空想に遊ぶ

partyがpartyを呼ぶ(ときもある)

昨日ワークショップ終わりにちょっとしたパーティーに参加した。

ちょっとしたパーティーと言ってみたかっただけで、実際は参加者の打ち上げで、お菓子と飲み物を乗せたテーブルを囲んでおしゃべりをする時間に参加した。

その時間もナイスな女性たちとnujabesをキッカケに音楽や自分のしていること、したいことのお話ししたりと非常に充実していたのだけれど、劇的だったのは、その会が終わってからの出来事。

ありがたいことに、たくさん用意してあったお菓子と飲み物は、参加者がほとんど帰った後も結構な量が残っていた。ちょっとしたパーティーで振舞われるお菓子というのは、やはり開け方もパーリーしているので、余ったところで持ち帰ることもできない。さらには長いテーブルに均等な雰囲気で並べられるから、おしゃべりに夢中な人々によって均等に、そして微妙に残されてゆく。そんなこんなで祭りのあとの会場にはパーリーの残骸が残ってしまっており、お片づけをするモッタイナイの国の人間たちは困っていたりした。

しかし、問題が解決するのには時間はかからなかった。会場は大学の校舎の横、それも建築学科の校舎に隣接していたからである。建築学科には、平日休日構わず、校舎の灯を絶やさないという、なんらかの信仰に基づく伝統があるので、もとい、課題に追われる学生たちが少なからず、夜遅くまで部屋で作業しているので、若く腹を減らした連中を探すのには苦労しない。

ということで、パーリーの残り物は明かりのついた部屋の学生たちにお裾分けされることになり、その役目を賜った。

そうは言っても、いざ製図室の前に来て気づいてしまう。そう、ささやかであれパーリー気分を抱えたままで、作業に勤しむ人間たちにお菓子を振る舞うというのは、なかなかにタフな所業だと。

難しく考えることでないのは百も承知であっても、せっかくの浮かれた気分をトーンダウンして、「諸君、学校でちょっとしたパーティーを催したところ、お菓子が余ったのでよかったら食べてくれたまえ」などと言いたくもないのが人間というもの。できるだけ浮かれた教室を探して乗り込もうと、部屋を回っていく。

1部屋目、そもそも人があまりいない上、揃いも揃って机に噛り付いている。空気が重い、パーリー帰りの僕には立ち入れない。

2部屋、結構な数の人間が、しかしやはり机に夢中である。空気はしんどいが人数が魅力的であるので、保留。

そして最後の部屋のドアを開ける。

信じられないことにピザの匂いがする。目をやるとピザの空箱と、はしゃぐ女子大生たち。

そう、ピザパである。ピザパが執り行われていた。

もう迷う必要はなかった。パーリーの残りを乗せたお盆を手に、部屋に乗り込み、事情を説明する。さらにはしゃぐ女子大生たち。空箱だらけの机に、それを置いて去る僕、そしてなおはしゃぐ女子大生たち。

何が言いたいかというと、やはり女子大生は劇的だということ。ではなく、この一連の出来事がとても自然だったということ。

楽しい気分を抱えた人間が、それをおすそ分けしたい時、やはり楽しい雰囲気のあるところに声をかけるというのは非常に象徴的なことだと思う。

ピザパを楽しんでいた彼女たちは、ついには食後のおやつと甘い飲み物を手に入れたわけであるけど、ある意味において、彼女たちは得るべくして得た、たぐり寄せたに違いないのである。

必ずしも起きることではなくとも、そういう雰囲気のあるところには、そういうものが自ずとやって来やすい。このことが大事なように思われる。何かがしたくても、できない状態であれ、そういう雰囲気を醸すことが、そういう態度を纏わせることが、精神論でなく実際的な効果を生むことは一つの希望でさえあると思う。

人生の希望を見出しつつ、女子大生にキャーキャー言われる役得にあずかった昨日は大変に素晴らしい日曜日だった。